世界記憶遺産登録候補!!

最近、メディス高崎の近くに界遺産登録候補の史跡があることが分かり、せっかくなので、レクリエーションの下見も兼ねて行ってみました。

高崎周辺にある史跡は『上野三碑(こうずけさんぴ)』と呼ばれ、奈良時代に作られた石碑で、『山ノ上碑』『多胡碑』『金井沢碑』の三石碑を総称で上野三碑と呼ばれています。

今回行ってきたのは 『金井沢碑』

金井沢碑は、神亀 3(726)年に立てられた石碑で、台石にはめこまれ、文はその表面に陰刻され、書体は古い隷書体の特徴が見られ、高さ111センチの輝石安山岩の自然石に112字が刻まれています。

江戸時代の中ごろに出土し、かつては小川のほとりで付近の農家の洗濯板として使用されていたというものでした。

古代豪族三家氏が、先祖供養のため造立したもので、その内容は、上野国群馬郡下賛(下佐野)郷高田里の三家(ミヤケ、屯倉)の子孫が、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨が記され、祖先の菩提と父母の安穏を仏に祈願している。ここから、郷里制の施行と奈良時代における民間への仏教信仰の浸透を知ることができると考えられています。

「佐野三家」であると考えられてきたが、最近の発掘調査により史料上知られていないミヤケの存在が確実視されているため、「三家」が「佐野三家」とは別のミヤケである可能性もあるとされています。

また、以前は「上毛野国」・「車(くるま)郡」であったのが、ここでは「上野国」・「群馬郡」と記されており、大宝律令( 701年)以後定まった行政制度(国郡郷里制)の施行が確認できるほか、郡郷名の好字二字への改正を命じた和銅6(713)年の政令の実施も確かめられます。なお、本碑の群馬」の文字は、在地最古の「群馬」の用例です。

メディス高崎より車で5分ほどのところにありますので、世界遺産に登録されると混雑が予想されます、是非この機会にお立ちよりください。

写真を撮った際は『町の小さな美術館』に展示いたしますので、宜しくお願いいたします。