世界記憶遺産登録候補その3

こんにちは。

今回も前回に引き続き、上野三碑の一つ『多胡碑』に行ってまいりました。

日本三古碑の一つであり、群馬県民なら馴染み深い『上毛かるた』の33番目の≪む≫の札で、『昔を語る多胡の古碑』子供のころから意味もわからず取っていましたが、今回実物を見ることが出来、昔の上毛かるたの思い出がよみがえりました。

上毛かるたでの馴染みもありますので、群馬県民の中でも上野三碑の中でも一番メジャーなのかもしれません。

多胡碑は、和銅4(711)年に多胡郡(現在の吉井町と山名町を中心とする地域)が設置されたことを記念して建てられた石碑で、栃木県大田原市にある那須国造碑と宮城県多賀城市にある多賀城碑とともに日本三古碑と呼ばれています。また、同じ古代の多胡郡域にある山上碑(681年)と金井沢碑(726年)とあわせて上野三碑とも呼ばれています。

多胡碑は、吉井町南部で採れる牛伏砂岩を加工してつくられていて、笠石・碑身・台石から構成されています。碑文は6行にわたって80文字が楷書体で刻まれています。

碑文には、和銅4年3月9日に片岡郡・緑野郡・甘良郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を設置したことが記されています。同様の記述が『続日本紀』にもみられます。

多胡郡の設置の背景については、当時の律令国家がすすめていた蝦夷政策との関わりや地域の勢力バランスの是正などが指摘されています。

多胡碑の保護の面では、明治15(1882)年に初代の群馬県令だった楫取素彦(かとりもとひこ)(吉田松陰の義弟)が内務省にかけあって木柵等の修理をおこなっています。さらに楫取は地元の有志に、寄付を募って多胡碑のある稲荷明神社周辺の土地を買収して整備するよう助言し、自らも寄付をおこないました。

こうした人々の努力によって、多胡碑が保護され、現在もその姿をみることができます。

 

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